敵軍襲来の半鐘が鳴り響く城下を、母・佐久らと共にひた走り、
鶴ヶ城に入城した八重。
「その鉄砲に、会津の魂を込めよ・・」
照姫の言葉に勇気づけられながら、戦いの場へ赴く八重。
八重は、重鎮たちの中に割って入り、自ら鉄砲隊の指揮を執ることを名乗り出ます。
「私は、山本覚馬の妹。これは会津全ての戦いだ、私が鉄砲隊を指揮しやす。!!
神保内蔵助らに「女の出る幕ではない」と一旦はいさめられますが、・・・。
「この期に及んでそのような古い考えでなじょします!男も女もない、会津全ての戦いだ!」
と女とは思えぬものすごい気迫で訴える八重に、
さしもの重鎮たちも、それ以上否を唱える者はなく、八重は侍として認められます。
そして重さ4キロのスペンサー銃を軽々とまるで我が手の一部のように操って、
差し詰め、狙撃兵のように、正確に敵を倒して行きます。
「会津は、私が守る〜!」
敵の鉄砲隊の隊長も、八重が仕留めました。
「老人と子供しか残っていないはずなのに・・・?」
一方、出発が遅れたユキたちは閉門に間に合わず、場内に入れません。
敵弾を後ろから浴びてはたまらんと、ユキは起点を効かせて城下へ戻ります。
戦場に赴いた少年達や、城下に残った女性達のそれぞれの戦いに幕を下ろす悲しい決断。
会津藩士としてのプライドを胸に、自刀する白虎隊。
まだ持ちこたえているお城を飯盛山から眺め、既に城落ちたと勘違いしてしまうのです。
悲劇と言われる大きなひとつの理由です。
その時もし、違う判断をしていたなら、彼らには別の輝かしい人生が、
待っていたかもしれないのに・・・。
また、会津の女性として並々ならぬ覚悟を見せる西郷頼母の妻子たち。
「非道な力には、死んでも屈しねえ〜」
頼母(西田敏行)の登城のあと自邸に残った妻・千恵たちは自刃の道を選び、
壮絶な最期を迎えるのです。
彼女たちはなぜ、登城しなかったのか?不思議でなりません。
今も語り継がれる、悲しくも誇らしい会津の歴史が描かれますが、
もうすこし、柔軟な考え方をする教育ができなかったのもかと、
私としては、非常に悔やまれます。
八重の桜に限らず、戦いの場面を見るたびに悲しくなります。
新政府軍側は、大山らを先頭に鶴ヶ城へ向けて一気に兵を進めようとするのですが、
城内からの精度の高い射撃に進軍を阻まれます。
八重の射撃の能力は、新政府軍を押し返すほどの力があったのです。
その八重は、なぜ千恵らのように自らの命を絶つことなく生き延びたのか、
銃の腕があったからだけではない、進歩的な考え方を身につけていたからだと思います。
いつも最後までお読みいただき、ありがとうございます。