会津戦争から早くも半年が過ぎ、八重たちは米沢藩の知人・内藤新一郎宅に身を寄せながら、
食いぶちを稼ぐために反物の行商をしていました。
武士の家の人間が、町人相手に行商をするのは、普通はかなりの屈辱なのです。
でも、八重たちには、そんな傲慢さはなく、
「ありがとうなし」 の精神で懸命に働きます。
しかし、八重が男にまぎれていることを敢えて暴露し、八重を助けた尚之介からの便りはなく、
八重は不安を募らせていました。
その後会津藩は、家老・萱野権兵衛の斬首という犠牲によってお家断絶を免れ、
斗南へ移されることが決まるのです。
会津戦争の責任を一身に引き受け、容保親子の助命嘆願に努めた家老・萱野権兵衛。
最後のときまで明るく笑いかける姿に、送り出す平馬や大蔵もやり切れない思いでいっぱいです。
柳沢慎吾君が醸し出すせつなくも穏やかな雰囲気に注目しましょう。
そんな権兵衛の表情を一変させた、容保と照姫の言葉とは・・・?
萱野権兵衛の最後の犠牲により会津藩のお家再興がかない、新しい藩名が「斗南」に決定。
そして、筆頭の大参事となった大蔵は、いつの日か会津の土地を取り返したい思いを募らせます。
新天地での新しい国づくりに向け、大蔵たちが一丸となる一方、
米沢で新しい生活を始めた八重たちのもとにもお家再興の知らせが届きます。
やがて京都にいる覚馬も釈放され、それぞれが希望を胸に、新たな未来へ向けて動き出します。
一方、箱館の五稜郭で戦いを続けていた旧幕府軍は、萱野の処刑が執行されたのと同じ日に降伏。
こうして「鳥羽・伏見の戦い」から始まった戊辰戦争がついに終結するのです。
会津を去ってから土方らと合流し函館戦争に参加していた西郷頼母は、再びの敗戦にもめげず、
亡き家族のためにも、生き抜いていくことを誓うのでした。
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