2013年09月29日

八重の桜 感想 39話 私たちの子ども

八重の桜 感想 39話 私たちの子ども
八重と襄tのあいだに、子供ができた〜〜!!??

違うんです。ね。残念。

八重が、感染の危険をかえりみず、結核になってしまったリツの看病をするのは、当たり前!

なぜならば、襄曰く「リツは、私たちの子ども、だから・・・。」
生徒は皆、襄と八重の子ども同様なのですね。

戊辰戦争で父と弟を失った八重。
同じく、父を失ったリツ。

全くの敵同士だったのです。
しかも、リツの父は、八重の放った銃弾に倒れた可能性が強い。

リツにとっては、直接的な父の敵(かたき)です。

その二人がなぜ、和解し打ち解けることができたのか?

リツは、キリスト教を勉強したいという女学生でした。

キリスト教を志す女性に対して、
「汝の敵を愛せよ」・・・というキリスト教の教えだけでは、
リツの心を開くことはできなかったのです。

それなのに、八重の必死の看病と叱咤によって、リツは心を開き、憎しみから解放された!

っていうことは〜、
八重の力、八重の愛は、キリストより偉大だということですね。!!!

私が言ってること、変ですか?


話変わって、佐久とみねは、どうしていきなり、洗礼を受けたいと言いだしたのでしょう?
洗礼を受けなくても、役にたってるのに。

もうちょっと、そのへんの変化を、表現してほしいな〜・・。

ところで、覚馬は顧問を辞職してしまって、食べて行けるのでしょうか?
同志社の経営は、軌道に載っているのかな?

襄は、女外人先生に、それでも校長か?みたいに言われ、
同志社女学校の土地は、覚馬のおかげで手に入れ、
家族のような学校にする夢は、八重のおかげで前進し・・・、

ほんと、頼りない校長に見えるね〜。

次回あたり、威厳を取り戻すというか、確固とした校長とう立場を築くというか、
何かこう、襄自身のパワーを示す機会が欲しいですね。

生徒たちが、びっくり仰天するような何か・・・。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
posted by やえすきお at 21:54| Comment(0) | 八重の桜 感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月24日

八重の桜 感想 38話

八重の桜 感想 38話 西南戦争 田原坂

雨は〜降る降〜る、人馬は〜濡れ〜る、越〜すに〜越〜されぬ〜田原〜坂〜。
右手に〜血刀〜、左手に〜手〜綱〜〜、馬〜上〜豊かな〜美少〜年〜〜。

学生時代に自転車で、田原坂付近を走った思い出を前回お話しました。
実は、田原坂との出会いは、更に10数年遡ります。

私がまだ幼児だった頃、私の3人の姉たちは日本舞踊を習っておりました。
先生が我が家に来てくれて、教えてくれたのです。

その度に私は、姉たちが着物着て踊るのを、ちょこんと座って眺めていたのです。

その日本舞踊を練習するための曲の中に、「田原坂」という曲があったのですよ〜!
他には黒田武士を覚えてます。

酒〜は飲め〜飲め〜飲むならば〜、日の本一の〜この槍を〜
飲み〜取る〜ほ〜〜どに〜飲むならば〜〜

っていうやつですね。

ところで、酒と言えば、
「美少年」という熊本の酒があります。うまいです。
学生の分際で、よく飲みました。


薩摩白波か美少年か・・・


その美少年ですが、田原坂の歌に出てくる美少年から取った名前だとばかり思ってました。

でも違うんだそうです
唐の詩人 杜甫の「飲中八仙歌」から引用したものだそうです。
有名な8人の酒豪のすてきな酔っ払いぶりを詠んだ中に、

・・ 宗之瀟洒美少年(宗之はすがすがしい佇まいの美少年である)・・
という下りがあり、
美少年酒造さんの「美少年」は、ここから引用されたそうです。
(知恵袋さんより)


さて、話を戻して、その田原坂の曲がです。

時々、音程が低〜〜くなって来て、親父が慌ててハンドルをぐるぐるぐると回すんです。
何のハンドルかって〜?

蓄音機(今で言うレコードプレイヤー・・これも古いか)のハンドルです。
当時は、撥条じかけの蓄音機だったのです!!!

こういうやつですね。



いやーー懐かしいものを思い出しました〜。

ひょっとして、実家に帰ると、まだどっかに眠っているかもしれません。

今夜は、八重の桜にかこつけて、自分の思い出話に終始してしまいました。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。
あなたの上に、全ての良きことが、降り注ぎます。

お休みなさい。
ラベル:田原坂
posted by やえすきお at 23:11| Comment(0) | 八重の桜 感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月23日

八重の桜 感想 38話

八重の桜 感想 38話 西南戦争 田原坂

雨は〜降る降〜る、人馬は〜濡れ〜る、越〜すに〜越〜されぬ〜田原〜坂〜。

学生時代、私は熊本に住んでおりました。
一度、熊本から長崎の実家まで、自転車で帰省したことがありました。

その途中、いやに長〜く続く坂道があり、ふうふう言いながら自転車を漕いでおりました。

ふと、道路脇を見ると、
「田原坂」という道標が立っていたのです。

ここで、西南戦争の激戦が繰り広げられたのか〜・・・
と思いながら帰省したことを覚えています。


さて、その西南戦争で、薩摩討伐に向かったのはほかでもない、
元会津藩士の山川浩、佐川官兵衛、斉藤一等の勇士達。

佐川官兵衛はまさにその田原坂で戦死する訳ですが、
彼は死に際に、

「会津の汚名を晴らす役目を与えてもらって、戦場で死ねるのはありがたい」
という意味のことを斎藤に言い残して逝きました。

当時の会津武士にとっては、それが本心だったのでしょう。
しかし私には、とても悲しい満足感に思えます。


そして山川浩は、西郷隆盛と遭遇し、西郷を倒すまたとないチャンスだったのに、
そうしなかった。

二人きりで遭遇したという事実があるかどうかは、よく分かりませんが、

「会津を犠牲にしたことを、片時も忘れたことはない」
「2度と内乱が起こらぬよう、全てを私が抱いていく」

という西郷の言葉を聞いて山川は、
西郷がはじめから、死ぬ覚悟でいることを知ったのです。

山川は、西郷を切る代わりに、自分の帽子を投げつけて堪え、
また、自分の不甲斐なさを責めたのでした。

山川の腹の中は、
元会津藩の自分が、官軍として薩摩と戦い、会津を罵倒する西郷を切り捨てて勝利する・・・

こういうストーリーだったと想像します。

しかし西郷は、会津お罵倒しなかった。
ここが山川の誤算でした。



私にはまだよく分かりません。
西南戦争で会津の汚名は、ほんとうに晴れたのでしょうか?

薩摩の士族達は、戦争以外の引き際を見つけることができなかった。
そして西郷隆盛には、そn士族達を抑える力が足りなかった。

そのことと、会津の汚名が晴れる晴れないとは、別問題のような気がするのは
私だけでしょうか?

あなたは、どう思いますか?


いつも最後までお読みいただき、ありがとうございます。

むつかしい問題を考えた後は、こちらで気晴らしはいかがですか?
http://iihito2956.seesaa.net/category/20932900-1.html
ラベル:西南戦争 田原坂
posted by やえすきお at 00:03| Comment(0) | 八重の桜 感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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