熊本からの転校生、いやに生意気で過激な連中でしたね〜。
熊本で迫害を受けていたとは思えないくらい元気でした。
最初に現れた金森以外は・・。
それに、成績が悪い者は、授業の障害、つまり自分たちの障害になるから、
退学させろなどと、
汝の隣人を愛せよという教えに背くことですよね。
ましてや、校長交代などと、超〜〜〜生意気!。
他人のことを信心が薄いなどと言うくせに、自分らが教えに背いている。
ということは、熊本での教育者の教え方がうまくなかったのかな?
そもそも八重のことを「ヌエのような女」などと批判するとは、
男尊女卑の考えに凝り固まったままで、自分をクリスチャンだと勘違いしている、
ただの思い上がり者たちではないのですかね??
・・・と、思っちゃいました。
徳富だけはちょっと違っていたようですが。
それでもなんとか、収まったのは、やはり、
襄と八重の真心が伝わったのですね。
それにしても八重は「ヌエ」などと言われて、よく、
「無礼者〜〜!!会津の武士の娘に向かって〜・・・!!」
と、怒鳴りませんでしたね〜。侮辱されたのに・・・。
親が子とともに成長するように、先生も生徒とともに成長するのですね。
格段に成長しているのでしょうね〜。
私なら、ガンガンに怒っちゃいますよ〜。
歳はとったけど、あんまり成長してないから・・・。
ところで、襄は自分のことを、
「旦那様」ではなく「襄」と呼べと八重に言いますが、
自分はなぜ、「八重」と呼ばずに「八重さん}と呼ぶのでしょうか?
かかあ天下だということですか〜?
次回はまた戦争ですね〜〜
会津という名前は表に出ないとは言え、
立場が逆転した戦いになります。
西郷隆盛ほどの人間がなぜ、士族たちを説得して戦争を止められないのでしょう?
もう一つよくわからない事が・・・
キリスト教の迫害は、権力を持った武士たちにとって、
万人平等の思想のキリスト教が、邪魔だったからだと思ってましたが、
町民もキリスト教を嫌ってますよね。
それはなぜでしょうか?
徳富が言うように、理解できないものを本能的に嫌っているだけなのでしょうか?
万人平等になれば嬉しいはずなのに・・・。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。