2013年06月09日

八重の桜 ネタバレ 第23回 会津を救え

八重の桜 ネタバレ 第23回 会津を救え
「俺の首を討て〜〜俺を切って会津を助けろ〜〜〜!西郷〜〜」

獄中の覚馬の必死の訴えをよそに、
1868(慶応4)年3月、会津討伐に乗り出した新政府軍の「奥羽鎮撫(ちんぶ)使」が仙台に到着。

参謀の世良修蔵(小沢仁志)らは同じ奥羽の仙台藩に早く会津を討つよう命を下します。

新政府軍あ、自ら会津を撃つのではなく、東北諸藩に会津追悼を命じたのです。
しかも、会津藩主容保の斬首をもって、その証と条件付けたのでした。

帝に忠誠を尽くしてきた会津藩に対するあまりの理不尽さと、
横暴なふるまいを繰り返す参謀・世良修蔵に、仙台藩・米沢藩士らは業を煮、

会津救済のため、奥羽の名誉のため、東北が力を合わせて動き出します。

仙台藩は米沢など奥羽の諸藩と結束し、会津救済の嘆願書を提出することに。
その知らせを聞いた八重は安堵し、尚之助とともに早速、米沢藩士らに銃の扱いを教えます。

しかし、会津救済の嘆願は、横暴な世良によってあえなく破棄されてしまいます。
これに怒った仙台藩士らが世良を暗殺。

和議の道は閉ざされ、残るは戦いのみ。

会津救済のための嘆願書が、悲しくも、
新政府軍と会津・奥羽軍との間で戦いの火蓋が切られるきっかけになってしまうのです。

一方、危険が迫る会津では、
刀でいくつもの戦を切り抜け、一時は人斬り集団とまで呼ばれてきた新選組、
彼らにも時代の荒波が襲い掛かります。

「鳥羽・伏見の戦い」に敗れ、局長の近藤勇までも失うことに。
そのとき、土方と斎藤は何を思ったのか。

会津の地へやってきた新選組の心に変化が生まれ始めます。

そのひとり佐藤は、八重の親友・時尾と結ばれる運命にあるのですが、
その道のりもまた、厳しいものでした。

そして遂に全面戦争へ〜!
会津の悲劇と惨状が繰り広げられようとしています。


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posted by やえすきお at 08:27| Comment(0) | 八重の桜 ネタバレ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月30日

八重の桜 ネタバレ 第22回

八重の桜 ネタバレ 第22回 弟のかたき
鳥羽伏見の戦いに敗れて、会津藩士が続々と帰郷します。
しかし、その中には、弟・三郎と兄・覚馬の姿が見当たりません!

八重とうらは、落胆と不安に苛まれるのでした。

折も折、謹慎が融けた西郷頼母の命令で、江戸で最新の戦術を学んでいた尚之介が帰藩。


尚之介は、覚馬と三郎の死という、耐え難い知らせを携えての帰藩となってしまいました。


三郎の遺髪や、八重が縫った南天の刺繍が入った形見の衣服を見て、
八重や権八、佐久は呆然と見つめるのみです。

打ちひしがれる母・佐久。父・権八は武士として立派な最期を遂げた息子たちを
誇らしく思いながらも、涙をこらえきれず…。
十の掟を破って、涙を流してしまいました。


しかし、覚馬の遺品が何一つないことを不思議に思った八重は、
「あんつぁまは死んでいない。人違いにちげえねえ」と言い張ります。


そんな悲しみの中でも、近所の少年たちに気丈に鉄砲を教えながら、
少年を思わず「三郎〜!」と呼んでしまい、
鉄砲を抱えたまま、いきなり角場を飛び出していく八重。

「私が行げば良がったんだし。私のほうが三郎より強えんだから〜・・
三郎のかたきは、私が討つ〜!」

 そのころ覚馬は、薩摩藩士に捕らえられ獄中にいた。
そう、覚馬は死んではいなかったのです。

視力を失いながらも、何度も会津救済を願い出る覚馬。そいてそれを黙殺する西郷吉之助。

しかし、すでに東征軍は江戸へと兵を進めていた。

江戸城無血開城

新政府軍が江戸城を攻め落とす…!

この危機を勝海舟が命を懸けて阻止します。

思いの丈を吐き出していく勝。
江戸の民を守りたい…その思いにじっと耳を傾ける西郷吉之助。

この会談により、全てはうまくまとまったかに思えたが…。
その西郷吉之助という脅威の・・・・、次なる矛先は・・・?
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2013年05月18日

八重の桜 ネタバレ 第20回

八重の桜 ネタバレ 第20回 開戦!鳥羽伏見
「もののふの 猛き心に くらぶれば 数にも入らぬ 我が身ながらも」
わずか22歳で花と散った薙刀の名手・中野竹子が、幟旗に記した辞世の句です。

文武両道をモットーとし、薙刀の修行に精を出す竹子にも、
刻一刻と、最後の時が、迫っていたのでした。


都では王政復古が宣言され、江戸馬幕府は廃止、慶喜は権力を完全に失います。

逃げるように大坂へ下ろうとする慶喜を、
林権助や佐川官兵衛らは、薩摩を討つべしと、必死に慶喜に訴えるますが、

神保修理にいさめられ止むなく従います。

覚馬は、戦いに備えて留まり、
長崎で発注した新式銃1,000丁が、ブロイセンから届くのを待ちます。


都へ出兵するも慶喜討伐の口実を失った薩摩と長州は、
西郷吉之助の発案により、江戸で争乱を起こし、

そして1868(慶応4)年1月、ついに「鳥羽・伏見の戦い」が始まります。


はたしてこの戦いは、いったい何のために、始まるのか・・・??

 
そのころ、慶喜や容保(綾野剛)らの都落ちを知った八重は、
藩の女性たちと共に戦勝祈願の幟旗(のぼりばた)を縫い、スペンサー銃の練習に明け暮れていました。

都にいる男たちの無事を祈りながら、幟を縫う八重たち。
そこへ照姫が現れ、皆で歌を詠むことに。

ここで八重は、照姫の右筆となった親友・時尾に、久々の再開を果たし、
互いに喜び合います。

照姫の前で奉納幟に自作の歌をしたためる八重と竹子。

「もののふの 猛き心に くらぶれば 数にも入らぬ 我が身ながらも」
これが、わずか22歳で花と散る運命にある中野竹子の辞世の句となってしまいます。


薩摩の策略に、まんまと乗ってしまった慶喜。
会津軍も、薩摩を討つべく鳥羽・伏見の街道へ向かいます。

そこに駆け付けたのは…八重の弟・三郎!
佐川官兵衛や林権助らに加わり、ついに初陣を果たします。

恐れることなく、武士らしく勇猛果敢に戦う三郎。
この三郎にも、最後の時が忍び寄っているのでした。


都に残って銃を待つ覚馬は、この戦いを止めるよう、
薩摩の兵に懸命に訴えますが、

視力を失いつつある覚馬には、かつて武芸者としても1,2を争った影は衰え、
薩摩兵に痛めつけられてしまいます。

竹子、三郎、そして覚馬の運営はいかに・・・。


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posted by やえすきお at 21:24| Comment(0) | 八重の桜 ネタバレ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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