八重さんをはじめ、会津の人々の心の柱である、什の掟。
会津藩は、人材の育成に力をいれており、
藩を、9区域の班に分け、各班を更に細分化して辺といい、
その辺を更に細分化して、什と言いました。
子供たちは10歳になるまでは、その什というグループに属し、
什の掟を叩き込まれます。
什って、十人くらいの人間の集団のことを言うようですね〜?
叩き込まれるといっても、闇雲に厳しく叩き込んだ訳ではないようです。
親の地位がどうであろうと、子供たちはほぼ平等で、
リーダーだけは権限があって、
一旦集合すると、リーダーの宣言がないと、勝手に家に帰れない・・・。
什の掟を破ると、親の仕置ではなくて、什の中でお仕置きを実行したのです。
謝れば済むレベルから、冬は雪埋めの刑まで、何段階かあったようですね。
こうして、小さい頃から教育され、
10歳になると、藩校の日新館に入校し、
文武両道に励んだんです。
そうなんです。勉強だけではなくて、
剣術、槍術、柔術、弓道、砲術、空手道、プロレス、ボクシング・・・・
ちょっと行き過ぎました・・。
女子は女子で、炊事洗濯、裁縫、糸紬から織物反物、そして薙刀・・。
木登りと鉄砲は、八重だけなのですが・・・。
ということで、会津藩は、教育熱心だったというお話でした〜。
ではまた。